本住寺について

妙見山本住寺は山梨の身延山久遠寺を総本山に仰ぐ日蓮宗のお寺です。

京都の妙顕寺の末寺で、建武2年(1335年)創立または延文3年(1358年)中創立、開基大覚大僧正妙実上人(貞治3年〔1364年〕4月3日に寂滅され、平成25年〔2013年〕が第650遠忌にあたる)とあるのみにて、その他事蹟は不明です。

再建にあたり、延文3年から数えて開創650年になる平成20年(2008年)6月4日に地鎮起工、9月6日上棟、翌平成21年(2009年)3月28日に入仏開眼しました。

修復した祖師像は天保2年(1831年)春頃、24世日遂上人代、明治時代の600遠忌に施主27世日養上人と台座下にはありました。

山号になっている妙見さま(北辰妙見大菩薩・能勢型)を祀る妙見堂は、明和6年(1769年)己丑歳6月28日再建、明治6年(1873年)酉年3月吉祥日の板札もあり、その後崖崩れにより、平成3年(1991年)4月14日上棟、同年9月23日落成との記録があります。

鐘楼は大正12年(1923年)11月9日、梵鐘堂新築上棟式執行とありますが、鐘は先の大戦で供出したままでしたが、平成25年(2013年)7月3日火入れ・再鋳し、平成26年(2014年)4月29日撞き初め式を行いました。

本住寺の歴史

西暦 年号 年表と主な出来事 本住寺関係の出来事
1282 弘安5 日蓮大聖人10/13 ご入滅 61才
1294 永仁2 日像上人、26才で帝都の弘通を
1297 永仁5 妙実上人生まれる。近衛家に縁故ある出自と
1313 正和2 17才のとき、京に伝道する日像上人の説法を聞いて改宗。名を妙実と
1321 元亨元 日像上人、妙顕寺を開く。上洛し28年
1333 元弘3 足利尊氏挙兵、北条氏滅亡、鎌倉幕府滅びる
後醍醐天皇帰京
妙実上人、元弘の末(1333)から康永(1342)にかけて中国地方の三備に伝道。ほかに備中の野山庄・穂田庄とあり、妙顕寺は備中にも寺領を寄進される
1334 建武元 後醍醐天皇の綸旨 「妙顕寺は勅願寺たり、殊に一乗円頓の宗旨を弘め、宜く四海泰平の精祈を凝すべし」 日像上人、上洛以来41年にして宗門弘通の公許を
1336 建武3 足利尊氏、室町幕府を開く 妙顕寺は、室町将軍家の祈祷所、北朝光厳院の祈願所となり、公武の間に
1338 建武5 建武2年、延文3年ともいわれるこの頃、本住寺開創
1341 歴応4 妙顕寺、四条櫛笥の地に移転
1342 康永元 日像上人11/13 ご遷化 74才 南北朝内乱のただ中、妙実上人、妙顕寺第2世に。幕府の要請により「四海静謐之懇祈」などをこらす
1358 延文3 妙顕寺、後光厳院より四海唱導の綸旨 妙実上人、祈雨の効験により日蓮・日朗・日像の三師に「菩薩号」を賜り、自身は大覚の呼称と大僧正に
1364 貞治3 当山開山大覚大僧正妙実上人4/3 ご遷化 68才
1392 明徳3 南北朝統一
1573 元亀4 室町幕府滅亡
1603 慶長8 徳川家康、江戸幕府を開く
1769 明和6 己丑 6/28 妙見堂 再建立鎮座の板札あり
1831 天保2 祖師像下に「辛卯歳春之頃 奉再建宗祖日蓮大菩薩 当山24嗣日遂 銀四文…」と
1868 明治元  神仏分離令が出される
1873 明治6 妙見大士御本殿の板札あり。「酉年3月吉祥」と
1881 明治14 祖師像下に「高祖大士為六百御遠忌施主27世日養」と
1920 大正9 当山唯一の寺宝 大覚大僧正掛け軸に「8月吉日」と
1923 大正12 11/9 梵鐘堂新築上棟式
1941 昭和16 第2次世界大戦始まる 戦時中に、梵鐘は供出したまま
1951 昭和26 宗教法人法公布 当山は昭和28年に
1981 昭和56 日蓮聖人第700遠忌
1991 平成3 4/14上棟、現在の妙見堂を再建 9/23落成
1998 平成10 「本堂建て替え準備基金」をはじめる
2002 平成14 宗祖立教開宗750年 1/20 永代供養塔開眼
2008 平成20 「建て替え事業」着手。 6/4 地鎮起工 9/6上棟
2009 平成21 3/28 本堂入仏開眼
2010 平成22 11/13「平成大改修」本堂落慶法要を厳修
2013 平成25 開山上人 六百五十御遠忌
2014 平成26 梵鐘再鋳